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No.47

生成AIと書くこと
生成AIと書くこと

最近書くことができない。紙の日記もnoteもsizumeも。個人サイトの更新もしばらくできていないな。Cosenseだけ、できるだけ書くようにしている。

書けないことに悩んでいるわけでもないものの、書けてないというのは気にかかっている。私にとって書くことは、内にこもっているものを外に出すことでもある気がして。

少し前まで読書熱が高まっていて、たくさん本を買って読んだ。その反動か、先日は旅先で本屋に3軒も寄ったのに、結局1冊も本を買わなかった。今はいいかなと感じたのだ。お腹がいっぱいという感覚。

これだけ本を読んだら、その本のことでなくてもいいから何か書かないと、身の内で言葉や考えが膨らんでいっぱいいっぱいになる気がする。だから書きたいのに、どうしてか書けない。

と書いているうちに、300文字ぐらい書けた。原稿用紙1枚弱。子どものころは原稿用紙1枚分の文章は長いと感じたけれど、今こうやって文字を打ちながら眺めると、短く感じるのが面白い。

生成AIを使って書いた文章を目にすることが増えてきた。「この文章は生成AIを使っています」「生成AIが書きました」と明示してあることはまれだから、本当にその文章がそうなのかは実際のところ分からないのだけれど、読み始めてすぐに、これはAIだなと感じてしまう。

私が読みたいのはAIの書いた文章ではなくて、人が書いた文章だ。それは別にAIを一切使ってほしくないというわけではなくて、書く過程でAIも活用していますと明示している文章の中には、その人の温度を感じることも多い。

一方で、AIにまとめてもらった文章やAIがほとんどの部分を書いた文章は、どこか空虚に感じるところがある。手触りがない。その文章を、その人の言葉を掴もうとするのに、その手が宙を掴むようなそんな感じ。

それっぽい文章を読みたいわけではなくて、大げさに言うならその人が生きている、生活していることを文章を通して知りたいのだ。

メールを打つ際もAIに文章を書いてもらうこともあるらしい。実際、これは人ではなくてAIだなと感じるメールも時々目にするようになった。普通のビジネスメールだって、AIに頼ることもあると知った。

もしかしたらもうそれが普通のことになりつつあるのだろうか。LINEにだってそんなボタンがあった気がする(恐ろしくなってどんなものかを見る前に、表示されないようにした)。

文章、言葉というコミュニケーションの手段、何かを伝えるための手段にさえ、AIが入ってくる。人と人とが意思疎通を行う、交流する、それさえ生身の人間同士ではできないというのか。いつしか人が不要になりそうで、私には怖い。AIとAIが人の代理で意思疎通を行うようなそんな世界。

伝えるという試みを、他人ですらない、AIというモノに頼ること。もしかしたらいつしか、そうした方が間違うことも、恥をかくことも無くなるのかもしれない。

でも、それは言葉を、人と向き合うことを放棄することとそう変わらないと、私は思う。

エッセイ

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